お代はラヴでけっこう

ダークソウル世界における「人」と「神」の違いについて

  • URLをコピーしました!

ゲーム考察中心のごった煮ブログです
主な更新情報はTwitterで行っております
https://twitter.com/kagaribi_bunsyo

 ダークソウルの世界には「王のソウル」を見出した「神」と「ダークソウル」を見出した名も知らぬ小人の子孫である「人間」が存在しているが、この二つは根本的には同じものなのだろうか?それとも別種のものなのだろうか?

 端的にいうと、人間が強大なソウルを得れば「神」になるのか?という話である。

 先に結論から書くと、これは「そうはならない」というのが答えであろう。
ダークソウルの世界では神と人間は存在そのものが別種として扱われている。

 ではこの違いとは何なのかというと、それぞれの力の源である「確定させる力」を持つ光と、「無限の可能性」を秘めた闇との差異である。

 光は強烈な力を持ち、周囲をきらびやかに照らす。

 このことにより、物事を明確にすることができるが、逆に言えば明確になってしまったということは「可能性がもはや存在しない」ということでもある。

 翻って闇の「本質」とは何か。

 古来より人間(ここでいう人間とは現実世界の我々のことである)は闇を恐れた。

 人は本能的に闇を恐れるようになっている。それは暗闇の向こうには「何がいるか分からない」からである。
「何がいるかわからない」ということは「何がいてもおかしくない」ということであり、それは即ち、闇とは無限の可能性を秘めているということである。
これこそがダークソウル界における人間の可能性の本質なのである。

 もちろん、人間は無限の可能性を秘めているので、強大なソウルを得れば「神に等しい力」を得ることは可能だろう。
しかし、それはあくまでも神に匹敵する力を得た人間であり、神そのものになったというわけではない。 

 禅問答のようになってしまうが、無限の可能性を持つものが不可能なことが一つある。それが「可能性を失うこと」である。

 無限の可能性を持つ存在は可能性を持たない存在なることだけはできない。

 自分を全能でなくすことが不可能なら、その全能者には不可能なことがあることになるので、全能とはいえない。一方自分を全能でなくすことが可能ならそれを行った時点で全能者は全能ではなくなってしまう。
———全能のパラドクス

 人間は無限の可能性を持つからこそ、グウィンはそれを恐れ、「神の枷」を嵌めた。

 生まれた時から「完全」である神々にとって、弱くともどのような未来を選び取るかを予想できない人間を理解することができないからだ。
「確定させる力」を持つ「神の枷」は人間は不死性と変化する性質を失い、人間を人の形に「固定」することになったが、この枷は存外に脆いものであり容易に外れてしまう、所詮は一時しのぎに過ぎないものであった。

画像1

 さて、この人と神の違いについての根拠になる絶好のサンプルがダークソウル3のボスキャラである「冷たい谷の踊り子」「冷たい谷のボルド」である。

冷たい谷の踊り子の鎧
法王の黒い瞳は、やがて踊り子を獣と化し
その鎧も彼女の一部になったという
———踊り子の鎧

法王サリヴァーンが騎士たちに与えた魔性の指輪
攻撃が連続すると、HPを回復する
その黒い瞳は見つめる者を昂ぶらせ、死闘へと誘い
やがて騎士を獣のような狂戦士に旺めてしまう
故に法王は、外征に際してのみこれを与えたという
  ———法王の左眼(ボルドのソウルから錬成)

 我々は人を評価するときに「まるで獣のようなやつだ」とか「獣の目をしている」などと表現することがあるが、本当にその人間が獣だと思っているわけではない。
あくまでその精神性を評価しているに過ぎない。
だが、ダークソウル世界の人間は精神性が本当に肉体に影響してしまうのである。
だからボルドら外征騎士は本当に獣と化してしまった。

画像2

獣と化したボルド
他の外征騎士らもみな四つん這いの獣となっている

 なお、外征騎士の変化はここまでで終わりではなく、変容が続けば「サリヴァーンの獣」に成り果てて番犬のようにいい様に使われながら、イルシールに戻ることすら許されなくなってしまう結末が待っている。

イルシールの外征騎士の甲冑
薄らと冷気を纏っている
法王の目を与えられたという彼らは
例外なく、獣のような狂戦士となる
そして番犬となり果てるのだ
  ———外征騎士の兜

古い幻の都、冷たい谷のイルシールでは
法王サリヴァーンが惜しむ者にこれを与えるという
いつか帰るとき、結界を超える鍵として
耳をすませば、微かな声が聞こえてくる
君がどこに行こうとも、イルシールは月の元にある
君がどこにあろうとも、それは帰る故郷なのだと
  ———小さな人形

画像3

「惜しまれるもの」ではなかった獣は結界に弾かれてしまう

 しかし、人間であったボルドが獣と成り果てているのと対象的に旧王家(神族)の末裔たる踊り子は獣と化したと表現されているにも関わらず二本の足で立ち、舞う動きで翻弄してくるのである。

冷たい谷の踊り子の頭冠
幻のような極光のヴェールは
旧王家の末裔に唯一許された
古い神々の遺産であるという
  ———踊り子の頭冠

画像4

踊り子は「獣」に成り果てない

 神の末裔である踊り子は、精神が獣と化してしまっても人間のように本当に肉体が獣となることはない。

 「人」と「神」はかように本質自体が異なるものであり、だからこそ相容れないのであろう。 

本ブログは酒カスが与太話を繰り広げるブログです
主な更新情報はTwitterで行っておりますのでよければそちらのフォローもお願いします。

  • URLをコピーしました!