前回の記事では、旅人とパイモンが稲妻に到着する以前にヤシオリ島で起きた悲劇の物語について解説しました。
今回は、彼らが稲妻に到着したあとで受けることのできる世界任務「武士の宿命」「邪悪な教訓」(前編)と「三千里の期待」「孤島診療所」(後編)の4つのストーリーから読み取ることができるヤシオリ島を襲った悲劇の結末と、その全ての元凶についてのお話です。
今回の記事は長文になってしまったため前後編に分割しています。
注:各種世界任務は任意の順で攻略することが可能なので、プレイヤーの選択によって順序が異なる点はご了承ください。
また、個人的な解釈や憶測も含まれています。
「武士の宿命」:稲葉の物語
島の中央部にある名椎の浜に向かうと、壊れた船の周囲を海賊たちが囲っています。よく見るとケガを負った武士が襲われそうになっているところでした。

旅人が海賊を蹴散らして助けるも、武士―—稲葉藤三郎久蔵は誇りを傷つけられたのか、旅人に対してぶっきらぼうな調子でお礼をいいます。
稲葉が襲われたのは、この壊れた船は元々は珊瑚宮抵抗軍のもので残された貨物を狙うのに邪魔だったからだということです。
しかし、船の周りには他にも海賊がうろうろしているので、稲葉は旅人に海賊の拠点を潰すよう依頼してきたため、旅人はそれに応じます。
海賊を潰したあと、話しかけると稲葉は痛みをこらえながらも、もう十分だと言い旅人を立ち去らせようとしますが、パイモンがその様子を「子供みたいだ」と諭すと稲葉は素直になり、旅人に薬草を持ってくるように依頼します。
これにより稲葉の怪我は収まり一安心となりましたが、しばらく経ってから稲葉の様子を見に行くと、彼のいた場所には絶筆が残されていました。
稲葉は元々幕府軍の兵士であり、抵抗軍との戦いに身を投じていました。
彼は500年前の漆黒の軍隊との戦いを伝説として憧れており、自分も深淵の怪物と戦う英雄となることを夢見ていたのです。
十数年前、軍に入ったばかりの頃、藤三郎は大御所殿下に憧れ、百千年前の数々の大義ある戦に憧れ、いずれ自分も真なる「永遠」のために身を捧げることを夢見ていた。
今思い返せば、若い頃は過去の伝説と現実を結びがちだった。大御所殿下のような完璧な英雄になれると信じていた。
しかしいざ戦争になると、敵は魔神の眷属でもなければ、深淵から来る醜い化け物でもなかった。自分たちと何ら変わらぬ、人間だった。
昨日倒した敵が、「目狩り令」が下された日までは烏有亭で盃を交わしていた友かもしれない。今敵に討たれた戦友が、半刻前まで談笑していた相手かもしれない……
同族のはずなのに、和解の可能性を捨て、憎しみを振りかざして、やっと今日を生き残れる。
なんて残忍、なんて残酷だろう。
「大義ある戦」こそ、最大の業であろう。
———稲葉藤三郎久蔵 絶筆
しかし、実際に戦争がはじまると武士が戦う相手は同族の人間でした。
殺した敵がかつての友であったかもしれない、昨日の友が今日には殺されるかもしれないという現実に耐え切れず、稲葉は軍から脱走してしました。
傷が治った稲葉ですが、彼にはもはや帰る場所はありません。
渡す手段のない家族への手紙をその場に残して、彼は最期の戦いに身を投じました。
旅人が彼の最期の地に踏み入れると、そこは荒くれ者である海乱鬼たちの巣でした。

稲葉の仇を取った旅人は、彼の遺した刀の前で冥福を祈ります。

・稲葉は最後はどうなったのか
稲葉の最後は明確にされていないため、切腹したのではないかとも言われていますが、個人的には刀が残された小山にいる海乱鬼たちと戦い死んだのだと思っています。
彼が最後に残した文章には「絶筆」とありますが、これは生涯最後に書く(書いた)文章という意味であり、遺書とは意味合いが異なります。
また、最後に「この身を持って、大御所殿下のために、一つ業を背負わせて頂きます」とあるので、自殺したのではなく稲妻を荒らす海乱鬼と戦い尽くし討ち死にしたのでしょう(悪人とはいえ殺人を犯すことを業を背負うと表現したと思われる)。
しかしながら、戦争とは残酷なものだ。誰かがその責を負わねばならない。
藤三郎はこれ以上忠義を尽くせそうにありません。この身を持って、大御所殿下のために、一つ業を背負わせて頂きます。
大御所殿下の永遠なる世が一刻も早く実現するよう、祈っております。
稲葉藤三郎久蔵、伏して謝罪致します。
———稲葉藤三郎久蔵 絶筆
・稲葉の家族について
稲葉は「絶筆」に家族として、父母が健在である他に、妻である静子、子である正則とお松の名を挙げているが、現状稲妻では同名のNPCは存在していません。
今後登場する可能性はありますが、現状は不明です。
人生五十年。藤三郎も三十余りを生きました。残りの十数年はこの身に余る故、どうかその分、父上、母上が長寿なさるよう祈っております。
静子よ、どうか怒りも悲しみもなさるな。藤三郎は許せぬ罪を犯した。不甲斐ない夫をどうか忘れてください。
正則、お松、父を許しておくれ。
———稲葉藤三郎久蔵 絶筆
「邪悪な教訓」:鷲津の物語
旅人がヤシオリ島を探索していると、祠の隣に座っている鷲津という人物と出会います。

鷲津は話しかけても要領を得ない回答しかしませんが、目の前にある祠を参拝するように促してきます。

祠には変わった様子も元素力もありませんが、参拝すると不思議な球が浮かびます。言われた通り三度参拝して話しかけると「彼」が喜んでおり褒美があるから明日また来いと言われます。
次の日に再び訪れると、宝箱が用意されていました。

鷲津に話しかけると、再び三度参拝しろと言い「彼」に関する要領の得ない話を繰り返すのみで、旅人の質問にまともに答えようとしません。
言われた通り3度参拝を行うと、また次の日に宝箱が現れます。
旅人はこれを3日間繰り返しますが4日目に異変が起きます。
鷲津の姿が見えなくなっていました。そのまま参拝を行うと、後ろから忍び寄る足音が聞こえるやいなや発狂した鷲津が襲い掛かってきました。


鷲津を倒すと、旅人は彼が残したノートとメモを手に入れることができます。そこには彼が何者でどうしてこのような事態になったのかという顛末が記されていました。
…緋木村は鉱山から逃げてきた人を受け入れすぎて、食料が底をついてしまった。今できることは、みんなの財産をまとめて、平等に分け当てる事のみ。海賊から食料を買うためのお金も確保しておく必要がある…
…いずれにせよ、蛇骨付近の祠を管理する人員が必要だ。みんな「祟り神」のような目に見えないものに怯えている。この件は村長の俺がやるしかない…
……
…体調を崩したり、軽い病気にかかった人が大勢いるため、肉体労働が困難になっている。このまではまずい…
———欠けたノート…こんな状況でみんな必死で頑張っている。村長として自分の無力を痛感しているが、せめて希望を与えられるようなことをしないと…
…真吾は「神の言葉」を聞いたと言っていたが、そんな馬鹿なことある訳ない…
…長次の母はまた来ている。彼女は毎日、祠で一人祈っている。病気のため?夫のため?村長としてなにもしてあげられなかった…
……
…真吾を監禁した。彼は完全にくるってしまい、長次の母親を襲おうとしたのだ!おれは緋木村を代表して、彼女に謝った…
……
…耳の中に誰かが話している。大きな声だ。ここ数日ちゃんと寝ていないせいかもしれない。俺には休憩が必要だ…
…頭が痛く、幻聴はまだ治っていない…
———ボロボロの紙切れ
鷲津は元々緋木村の村長を務めていました。
しかし、幕府軍と抵抗軍が戦争を行った結果、蛇骨鉱坑の住民が緋木村に流入し、その結果食糧難になり村長である鷲津には大きなプレッシャーがかかりました。
しかも同時期に祟り神の鎮め物が破壊され、村には奇病が蔓延。最後には鷲津も発狂してしまいました。
・発狂後の鷲津の行動
発狂した鷲津は頭の中に響く「彼」に生贄を捧げるために暗躍します。
まず、祟り神の影響を受けながらも完全に掌握されなかった長次の母を「特別な生贄」と判断し、付け狙いますが失敗。

その代わりとなったのが幕府軍の兵隊でした。
元々幕府軍は祟り神の影響を調べるためにヤシオリ島に調査部隊を派遣しています。この調査部隊の行動は島中に散りばめられた「紛失した文章」により分かるようになっています。
「…ヤシオリ島前線部隊の状況は非常に厳しい。すでに当主様のお耳にも入られた…」
「…政仁様は『祟り神』がもたらす混乱を手紙にしたが、当主様は情が動くどころか激怒してしまった…」
「…そのため我々を島に送って視察し、正確な情報を返すことで、政仁様に賊の拠点を討ってもらおうとした…」
———紛失した文章(藤兜砦)
隊長は島を調査する途中で緋木村周辺を訪れましたが、その際に村で逃亡兵を匿っていないかを調査するためにまず権五右衛門という兵士を送りましたが、未帰還。そこで更に山田という兵士を送りました。
「…緋木村の状況はいいものではない。権五右衛門は我らの中で最強の剣術を有し、体もまだ健康を保っている…」
「…そのため村長に脱走兵をかくまっているか尋問するよう彼を手配した…しかし今も戻ってきていない…警告のために山田を手配した…」
「…あと半時間しても戻らなければ、村に協力する裏切り者とみなし、即刻処刑する…」
「…村に大勢の人が来た。村長はいない。雰囲気がおかしいーー」
———紛失した文書
しかし、この時村は既に狂気に陥った鷲津の支配下にありました。
「邪悪な教訓」で鷲津を倒すと緋木村には名簿が遺されているのを見つけられます、
そこには鷲津の狂気の変遷が記されていました。
…虎次郎、13歳、病没。新司、32歳、病没。美代、25歳、病没…
…銀、12歳、病没。考也、55歳、病没。長淵、42歳、病没。絵里、43歳、病没…
…江下三兄弟、戦死。北田、27歳、幕府から逃亡。良子、36歳、病没。津子、18歳、海に墜落…
…無名の通行人、生贄。権五右衛門、約30歳(?)、生贄。山田、23歳、生贄…
…千代、4歳、帰一。千夜の母、約25歳(?)、帰一。秀明、23歳、召喚に応じ…
…以上の者の遺物は、『彼』が戻ってくるための生贄となるよう、囮としてここに置く…
…長次の母、約32歳(?)、失踪。『彼』はこの者を気に入っている、必ず見つけなければならない…
…無名の外国人、若者、いずれ捕まえる…
———緋木村村民名簿
最初はまだ正気だったのか、村人が祟り神の病で死んでいく様が刻々と記されています。
しかし書いている途中で発狂し、通行人を見かけると生贄に捧げるようになりました。
幕府軍の兵士であった権五右衛門と山田が部隊に帰還しなかったのは既に鷲津に生贄に捧げられていたからです。
もちろん最後に書かれた「無名の外国人」とは旅人のことです。
旅人に与えていた宝箱は以前に殺害した人々の遺物だったのでしょう。
鷲津は最初から宝箱を餌として旅人を釣り、生贄に捧げるつもりだったのでした。
・緋木村の村長の謎
稲妻には紺田村という村があり、そこの村長の名前は紺田伝助です。

しかし緋木村の村長の名前は「鷲津」であり苗字が異なっています。
実は稲妻城の掲示板では「緋木広孝」なる人物が仕事を探している掲示物を見つけることができます。

四人家族であり、離島で仕事にありつけたと書かれていますが、離島にはこの緋木なる人物は見当たりませんでした。
たまたまの偶然なのか、何らかの理由で村を捨て鷲津が後を請け負ったのかは謎のままです。
・「蛇神の首」にある祠の秘密
蛇神の首周辺には祠が多数あります。
このうち一つを調べるとパイモンが「祠が怖いからすぐに立ち去ろう」と言い出しますが、結局これに繋がる任務がなく謎のままでした

さて、この祠は元々は緋木村の村長である鷲津が蛇神を鎮めるために建てたもので「蛇神の首」を中心に6か所設置されています。

しかし、鷲津は最終的に祟り神に浸食されてしまい発狂。それ以降は祠に祀る方法も「狂気じみてきた」と長次から教えてもらえます。

鷲津の関わる世界任務「邪悪な教訓」を終えると、緋木村に名簿が遺されますがそれによると鷲津は人間を生贄に捧げていたことが分かります。

この時点で既に嫌な予感全開ですが、先ほどの祠の位置を改めて確認してみましょう。

祠の位置が「人」という漢字になっていることが分かりますね。
話を最初に戻しますが、パイモンが「怖い」と感じた祠には「おどろおどろしい紅い痕跡」が残されていました。

この祠は「鷲津の建てたもの」であり、長次曰く「祀り方が狂気じみて」きており、「紅い痕跡」が残されており、鷲津は「通行人を生贄にしてきた実績」があり、最期には「祠の前でお参りしている旅人の背後から切りかかって」きます。

つまり、パイモンがこの祠を「怖い」と感じたのは「この祠の中に人間の死体が捧げられているから」です。
鷲津がどのような指令を「彼」から受けたのか伺うことはできませんでしたが、宝箱を餌に旅人を釣って祠に捧げるという所業を繰り返すつもりだったのでしょう。
「三千里の期待」「孤島診療所」「ヤシオリ島の全ての元凶」は後編に掲載しています。
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