お代はラヴでけっこう

宮崎氏の「可能性を否定するのは良くない」という発言の真意について

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 ダークソウルの考察自体からはちょっと離れる話なんですけど、この界隈の考察というのがどういう前提で行われているのか?という意味では大事なお話かなと感じたので書いておきます。

 また、この宮崎氏の発言は確かに独り歩きしているなあと思うこともままあるため、経緯も含めて解説をするという意図もあります。

事の経緯

 少し前に私がこういうつぶやきをしたわけです。

 で、これに対して「可能性を否定するのは良くないって発言はギャグだと理解してないのか」という反論を受けたわけなんですけど、みなさんはこの発言・・・ギャグだと思いますか?

 私はギャグだとは思っていませんし、ギャグどころか宮崎氏のゲーム制作の神髄だと思っています。

「可能性を否定するのは良くない」に至る流れ

 この発言が行われた経緯は、ゲームの大晩餐というWebラジオ第14回で、パーソナリティ『いそっち』が「ロートレクが火防女を殺害したのは愛ゆえにだ」みたいな発言をしたことがきっかけです。
少し長くなりますけれど引用すると

いそっち「かぼたんとできてたのかできてないのかみたいな話 また野暮な話になりましたけど」
(中略)
いそ「なんかあんのかなっていう あそこになんか閉じこもってたのは ちょっと ロートレクさんがストーカー的な愛情を」
宮崎「ロートレクさんはむしろ女神一途ですよ(笑)」
いそ「そうですか?」
宮崎「抱かれ鎧着てるんですよだって」
いそ「別ですよだから。妻にしたい女と恋人にしたい女みたいなそういう話。恋人にしたい女ナンバーワンがかぼたんだったわけです」
(中略)
いそ「かぼたんがロートレクさんから距離を取るわけですよ、それでこっから私出れないんですーみたいな」
宮崎「それはちょっと違う・・・(笑)それはさすがに・・・だってそれだとロートレクさんがいなくなったあと出てきちゃう」
ムロ「よかったよかったちゃんと否定してもらえて(笑)」
宮崎「いや、あまりにも・・・驚きでふと言ってしまいました(笑)
よくないよくない可能性を否定するのはよくない
いそ「確実にない可能性は否定していただいて全然かまわないんですけど」
宮崎「可能性は・・・否定しない方がよかったでした、すいませんでした(笑) もしかしたらそうかもなー(棒)」

という流れでの発言だったわけですね。

 この流れ自体は確かにギャグみたいな話ですけれど、この流れになる前には前段があるわけです。

 ゲームの大晩餐13回において、「考察の正解」を求めるいそっちに対して、宮崎氏はこう回答しています。

宮崎「僕あれなんですよね ストーリーを語るのは苦手で」
(中略)
宮崎「ゲームで表現してないことをしゃべる必要ってあるんだろうかっていうか ゲームにとってマイナスになりそうな気がするっていうか」
いそ「でもねえ すごい想像しましたよ」
宮崎「あの想像していただけるのは全然かまわないと思ってるんで」
いそ「でもなんか やっぱり 自分の想像があってるのかあってないのか みたいな判定は欲しいわけですよ」
宮崎「それはヤボってもんですよ

 この回答は、色々な糸口から考えた考察をみんなであーだこーだと楽しむここめっちゃ大事。……ことを重視しているからこそのセリフだし、正解を出さないのは、考察とは「勝ち負けを決めるものではない」からでしょう。

 そして正解を出してしまったら「可能性が存在しなくなってしまう」ということであり、それは宮崎氏のゲーム哲学からして避けたいという意図もあると思います。

じゃあなんでwebラジオに出てるの?

 根本的なことを言ってしまえば、この哲学を純粋に完遂したかった場合は、そもそもwebラジオに出るべきではなかったというのは事実だと思います。
ですけど、まあこの辺はかなり宮崎氏を庇うとかではないのですけれど、大人の事情的なものがあったんだなと思っています。

・本当は出たくなかったけれど、出てしまった以上は話はしないといけない
ラジオの当初に、「本当はこういうのは嫌いなんだけど、げむたまさんはデモンズを宣伝してくれた借りがあるので、そういう人たちには借りを返したいから出ました」と「会社から宣伝して来いとプレッシャーがある」という発言があります。
言葉の節々からこういうのは本当は乗り気でないというのは伝わってくるんですけど、出演してしまい質問が送られてきた以上は全て「ご想像にお任せします」では番組が成り立たないですからね、

・1作目だったので、ここまで考察界隈で話が盛り上がるとまで予想していなかった
 webラジオもそうなんですけど、1のデザインワークスには座談会が収録されていおり、結構設定の話が出てるんですよね。
しかし3になると、座談会の収録がなく、他のインタビューでも大まかな世界観の話をされるぐらいで細かい設定への言及はほとんどなくなってるんですよ。

 個人的に「1の時は色々話過ぎたなあ・・まずったなあ・・・」と反省した結果なのだと思っています。

ゲームストーリー論の哲学として

 ちなみに、この「可能性は否定するのはよくない」という哲学は、ドラゴンクエストの製作者である堀井雄二氏の哲学にも似た内容のものを感じましたね。

 堀井雄二氏は「ドラゴンクエストのストーリーはプレイヤーの物語である」というゲーム哲学を持っています。

 スクウェアさんとは別の方法論だと思うんです。「FF」となると、映画的な演出をして、見せるお話を突き詰めていて、それはそれですごくいいことだと思うんです。でも、それは「FF」の方法論ですから。「ドラゴンクエスト」は、あくまでも「自分で体験する物語」ということで作ってきたわけです。「VI」はそれの集大成になったと思います。

 どこまで書くかという問題があって、書くことは出来るんですけれども、饒舌になってしまうし、それでは想像して楽しむという要素がなくなってしまうというのがありまして。
匂わしてるのが必要なんです。だから次世代のパノンとかも実は海底にいるんです。でも、見つけても見つけなくてもいいよ、みたいなね。しかも、その人物に会ってもパノンといってないんですよね。
「変な面白いおじちゃんがいる」みたいなセリフだけで。ある種ゲームというのは、ユーザーがやって初めて完成していく、という変なメディアであるんです。
その辺ユーザーがイメージで作れる部分を私は残しておきたい。完全にすべての情報を与えてしまうんじゃなくて、「俺はこう思った」とかいろんな思い入れがあると思うんです。

 そして、ゲームの食卓第189回の宮崎氏の発言がこれです。

 ストーリーの情報ってのはかなり減らしていて、その代わりユーザーさんのプレイがストーリーになって欲しいと思っている
で一方ではなんだろ。周辺情報とかユーザーさんが自分のストーリーないし想像力を膨らめるための材料みたいなものはいっぱい提示したいと思っていて。
なんで欲しい人にとってはですけど、周辺情報だけはいろいろあるみたいな。

 RPGの主人公は大別すると、FFのようにキャラクターとして細かく設定が作られており、思考や発言もある程度固定化されているものと、DQのように主人公は原則としてしゃべらず、その人物がどういう人間なのかはプレイする人間に委ねられているものと2種類に分けられます。

 そして、もちろんダークソウルはDQタイプですね。
主人公が世界、そしてキャラクターに対して直接言葉を発することは一切なく、どのような反応が起きるかは全てはプレイヤー自身の行動に委ねられています。

 この辺は宮崎氏がTRPGプレイヤー出身というのも大きいのかなと。
TRPGは原則としてプレイヤー自身がキャラクターを創設するもので、お仕着せのキャラを演じることは非常に稀です。
ストーリーにおいてもTRPGも大雑把なストーリーはGMが決めていますが、その細部の流れはプレイヤーの行動(とサイコロ運)によって決められるものですから。
  TRPGを実際にプレイした人は分かると思いますが、GMが全ての流れを決めるセッションほど「萎える」ものはないです。

まとめ

 というわけで、最初の繰り返しになりますが、「可能性を否定するのはよくない」というのは冗談でもネタでもなく、宮崎氏のゲーム哲学の神髄であり、その大元はTRPGを原本にしているのだろうなあと思った次第です。

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