お代はラヴでけっこう

【ダークソウル考察】ダークソウルシリーズの繋がりの話について

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シリーズ物のファンは古来より「シリーズは全て繋がっている説」を非常に好む傾向がある。

その中で「シリーズが繋がっていない」という説は異端とされやすかったり、反発を受ける傾向が強いが今回はそのことについて書く。

さて繋がっていないという話になるが、そこでまず大体思い浮かべられるのがDS2の方であろう。
実際に雰囲気としては1と3が似たものがあるのに対して2は独特の雰囲気を持っている。
とはいえ、1と3は宮崎氏がディレクターで2は谷村氏がディレクターをしているのだから、これは当然の話であると言える。

しかしゲームシナリオとして見た場合、繋がりが疑われているのは2ではなく1の方である。

最も有名なのはオンスタ・スモウ問題であろう。

オンスタ・スモウ問題

DS1のアノールロンドのボスである、オーンスタインとスモウは「タッグで」「撃破必須」であるにも関わらず、DS3ではオーンスタインがアノールロンドで倒されないまま出奔していることになっている。

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DS3の世界が1の主人公が火継ぎをしたのであるとするならば、オーンスタインは必ず倒されているはずである。

しかし、Webラジオで宮崎氏がソラールが火を継いだ世界線の存在を示唆したように、他の世界線ではオーンスタインを倒さずとも火を継ぐ方法があったのかもしれない(ソラールはシース戦やイザリス戦などには参戦していない)。

あた、このオーンスタインが実は幻影であったという説もはかなり昔から根強くあり、このことに関してはソウルの種さんが詳しくまとめてくれている記事があるが、今度は「クラーナの弟子問題」がのしかかってくる。

クラーナの弟子問題

クラーナの呪術書によると、彼女はある時一人の人間の弟子を取ったがそれ以降に弟子を取ることはなかったとされている。

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1作目ではプレイヤーはクラーナに弟子入りして彼女から呪術を学ぶことができるので、あまりシナリオを気にせず進めていると、この弟子はプレイヤーのことではないかと思われがちだが、それはあり得ない

何故なら、クラーナに弟子入りするときに、プレイヤーは二番弟子であり遥か昔にザラマンという弟子を取ったことがあると教えてもらえるからである。
つまりプレイヤーは最初の弟子ではありえないことになる。

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要するに3の世界線では1の主人公がクラーナに弟子入りするという選択肢は公式に否定されてしまっていることになる。
この弟子入りはプレイヤーに選択権があるため、弟子入りしなかっただけという見方もできるのだが、そうするとわざわざ選んだ方の選択肢を潰す意図が不明で不可解である。
(webラジオで呪術王ザラマンは人間であると明言されているので、「ザラマンが人間じゃない可能性もある」という逃げ道はない)

なお、ザラマンは3においても大沼のコルニクスに存在を言及されているので宮崎氏が存在を失念していたと言う説も薄いだろう。

ダークソウル2

このように1の主人公はかつて存在したことを匂わせる記述が一切存在せず、逆にクラーナの呪術書のように存在を否定する材料は出てくる。

これはダークソウル2の主人公がかなり明確に存在をアピールしているのに比べてあまりにも対照的であろう。

・ファーナム装備
ダークソウル2のパッケージにはファーナム騎士が描かれており、これが公式装備とされている。
3にもファーナム装備が登場し、その説明文に幾つかの伝承とともに「絶望を焚べる者」という二つ名が残されている(DS2のキャッチコピーは「絶望を焚べよ」)

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・ルカティエルのマスク
更にもっとも決定的なのものとして「ルカティエルのマスク」の装備品の記載がある。

ダークソウル2の友好NPCであるルカティエルは各地でプレイヤーと共闘し絆を深めていく。

しかし、少しずつ記憶を失っていくことを恐れ、自分自身の存在さえも揺らぐ絶望の最中に、彼女は最後にプレイヤーに対して自分の名を覚えておいて欲しいと依頼する

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この後、ルカティエルは姿を消してしまい作中で、この「約束」がどうなったかは分からないままであったのだが、3で手に入るルカティエルのマスクの説明文で2の主人公はこの約束を果たしたことを教えてくれるのである。

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これはシリーズでも屈指の名演出として人気が高く、ファンから敬遠されがちな2は確かにダークソウルシリーズに組み込まれているのだということを表現してくれているものでもある。

結論

ダークソウルはシリーズ自体に演出の空白をあえて開けることで、プレイヤーの想像の余地を広げる傾向にあるが、この1→3の繋がりをあえて否定する流れにし、2→3の繋がりをあえて肯定する流れにしているのはよく分からない(本文にも書いたが、この趣旨であれば「繋がっているともいないとも考えられる」というシナリオが最適であろうと思う)

しかし宮崎氏の「まずゲームとしての面白さが最優先でシナリオは二の次」という趣旨の発言をしているため、我々がシナリオの間を深読みしようとする行為へのアンチテーゼとして用意したものなのかもしれない。

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