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【ダークソウル】運命的な美しさの女神「フィナ」と涙の神「クァト」について

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この記事にはダークソウルに関する重大なネタバレが存在します

 カリムの女神である運命的な美しさの女神フィナと涙の神クァトは同一の存在であるという説が多いが、個人的にはこの二柱の神は全く別の存在であると思うので、以下その根拠を書いていく。

女神フィナと女神の騎士

 女神フィナと言えば、ダークソウル界のカリスマである女神の騎士ロートレクさん。 

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女神の腕が絡みついた金ぴか鎧にフンドシという斬新すぎるスタイル

 彼は空気の読めないボッチ男子だったわけだが、そんなときにめちゃんこ可愛いフィナさんに優しくされて一途にのめり込み、人生の全てを捧げてしまう。

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ぼっちの時に優しくされるとホレちゃうよね・・・

 しかし、3において一途だったのはロートレクさんだけであることが明かされ、一転してキャバ嬢にのめり込んだ隠キャだったということが判明するという、めちゃくちゃ可哀想な扱いになっている。

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陰キャが美女の心を繋ぎとめるのは無理という容赦ない現実

 さて、この女神フィナであるがモチーフはフランス文学から生まれた「ファム・ファタール」という概念から来ている。

ファム・ファタールとは?

 ファム・ファタールとは元々は「運命の女」という意味であるが、それが転じて「男を破滅させる魔性の女」であることを意味にするようになった(ここまでWikipedia)
ファム・ファタールに見初められた男は、彼女に振り回される人生を送り、最終的に破滅することになる。
まさに女神フィナのイメージとピッタリそのままである。

 ダークソウル1においてロートレクは不死の英雄に対して「哀れだよ・・・」と呼びかけるが、実際に哀れにも破滅してしまうには自分の方だった。

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哀れだったのは自分だったというオチ

 さて、このファム・ファタールは女神フィナだけではなくもう一柱存在する。それが女神クァトである。

 女神クァトは人の悲しみに寄り添う慈愛の神であるが、同時に人を絶望の運命に導く悪神であるとされている。

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クァトもまた人を絶望に導く神である

 このため、クァトとフィナは同一の存在であるとされやすいが、個人的には違うと思う。

 一般的にはファム・ファタールは魅惑的で奔放な女性が多い(例:「旧約聖書」のサロメ)が、逆に純粋無垢であるが故に男を破綻させる女性のことも指す(例:「夜への長い航路」のメアリー)。

 また、この二柱の女神は、神様像がかなり異なる。
フィナはその美しさで男を魅力するが、気分屋の気まぐれですぐに他の男に心を移してしまう。
フィナにおいて強調されているのは女性のしたたかさと残酷さである。

 クァトは弱者に寄り添う悲しみの女神であり、同時に自分自身にも弱さを抱えている。
クァトにおいて強調されているのは女性の優しさと弱さである。

 二柱の神はともに二面性を持つ神であるが、その二面性の概念自体が全く異なるように配置されているのが分かる。

 二柱が共にファム・ファタールであるから同じ神であるというより、カリムではファム・ファタールが好まれたという方が妥当であると思う。
思えばカリムで大きく信仰された罪の女神ベルカも二面性を持つ神であるので、そもそもそういう土壌があったのだろう。

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ベルカの刺剣は「邪教」属性を持つが、ベルカの教戒師に「白教」に属する誓約を結んだ状態でと会話すると「仲間」と呼ばれる

カリム騎士に大きな影響を与えたモーンの存在

 もう一つ、この二柱の女神が別の存在であるという根拠がある。
それが「女神の騎士ロートレク」と「聖女の騎士イーゴン」の騎士としての在り方の変化である。

 ダークソウル1の時代においては、カリムの騎士は盾を持たないスタイルが一般的であり、その代わりにパリィに特化したパリングダガーを装備している。

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カリム騎士は盾を持たない

 フィナを信棒するロートレクの場合、攻撃時はショーテルを二刀流し、防御時は左手をパリングダガーを持つという非常に攻撃的なスタイルになっている。

 これはフィナは守られる女神ではないことを指しており、指輪の説明文から察するにテンアゲ系(超死語)の女神だったのだろう。

 しかし3の時代においてカリムにクァト信仰が台頭すると一転して、カリム騎士は盾を持つことが基本のスタイルになる。

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 盾を持たないはずのカリム騎士が、騎士叙勲の際に盾を授けられるほどに変化している

 このカリム騎士の在り方の変化は、女神クァトに仕えたモーンの影響がとてつもなく大きい。

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モーンはカリム騎士に多大な影響力を与えた

 カリム騎士はモーンを象った装備を与えられ、モーンがそうしたように生涯ただ一人の聖女に仕える。

 彼らが盾を持つようになったのは、モーンが弱き女神であるクァトを守るためと考えるのが妥当だろう。
誰かを守るためには盾が必要なのだ。

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クァトを失ったモーンは弱き者を守る誓いを立てている

 この騎士としての在り方にすら大変革を与えたクァト信仰を見れば、フィナとクァトが同一の存在であるというのはあり得ないだろう。

そもそもダークソウル1にクァトは存在しなかった

 ダークソウル1の時代にはファム・ファタールはフィナのみであり、クァトの名前が全く存在しなかったことから、クァト信仰は1→2の時代背景において成立したと予想される。

 涙石の指輪は1からあるが、クァトの存在が語られるのは2以降である。

 その上で3においてもフィナの名が残っていることから、フィナの存在が単にクァトに置き換えられたということもない。

余談

 寵愛の指輪に刻まれた植物とクァトの鈴の植物が同じだから二柱の女神が同一であるという説を聞いたことがあるが……同じだろうか??

 まず指輪の刻まれた部分が植物なのかという問題と、植物だとして葉の形が全く異なると思うのだが……
まあ似ているかどうかは個人の感覚も大きいのでなんとも言えないが、正直苦しいと思う。

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